百名山

百名山48座目:御嶽山~爆炎の絆~(14.09.28 Day.2)

前編はこちら。

登山口から木曽福島駅までの短い休息を終え目覚める。
このあたりで噴火報道を知った友人や家族から連絡があり
友『御嶽山めっちゃニュースになってるけどまさか登ってないよね?』
俺『そのまさかだよ』
友『(  Д ) ゚ ゚』
というやりとりが暫く繰り返されることに。

さて、下界へとたどり着いたはいいがここからどうするか皆で会議する。
本来の予定は下山してすぐ温泉にダイブするため御嶽湖畔に宿をとっていたのだ。
しかし駅から宿までは20キロも離れており心身消耗した現状で歩くのはキツイ・・・

タクシーやらバスやら探してみるが山方面へ向かうものは全て運休しているようだった。
ダメ元で宿に電話して事情を説明すると特別に迎えに来てくれるという神対応!
これで今夜の命は繋げた。

宿は素泊まりで抑えてあり登山用品以外は全て車に置き去り状態だったため
待っている間に近くのスーパーで食料や着替えを調達することにした。



灰まみれの装備を携えたままスーパーをうろつく異様な集団。。。
周りの客に二度見されたり店員に
『まさか御嶽山の・・・?』と声をかけられたりで少々大変( ´Д`)

店を出て車を待っていると入り口に居た人たちに
『もしや御嶽山の・・・?』と声をかけられる。
またかと思い対応しているとなんとNHKのスタッフだったらしく
ぜひ取材させてほしいとのことで後日宿に来ることになった。

そんなこんなでやっと今宵の宿『滝旅館』へ到着。
お迎えありがとうございましたっ!!(´;ω;`)

灰まみれの体を温泉で洗い流しまずは野郎共で乾杯。
俺『いやぁ。。。今日はマジでやばかったな・・・』
皆『うん、、、はぁ・・・』
お茶を飲み干し深いため息をつくと全員放心状態となる( ꒪﹃ ꒪)

ニュースでは繰り返し噴火の映像が流れている。
こうやって引きで見るとすごい規模だったことが分かる・・・
あの中で生きて帰ってこれたのが信じられない。

報道では一人死亡確認と出ているが
あの噴石連弾の中では小屋に入れなかった人たちは助からなかっただろう。
仮に生きていても衰弱した状態で9月下旬の3000m峰の
一夜を耐えることができるとは・・・(´;ω;`)
時間と共に死者が増えるのが容易に想像でき見ていて辛くなった。

とりあえず我々は今生きている喜びを分かち会おう。
俺『みんなっ、、、本当にっっ、、、お疲れ様でしたっっ!!!(´;ω;`)』
女子陣も合流し今宵の宴が始まる。
本当に全員でこうして食卓を囲めることは奇跡でしかない。
心底安らげる空間で、今日の辛い記憶を吹き飛ばすように、ひと時の談笑を楽しんだ。

食後は疲労と心労から早めに就寝。
本来は女子組は別部屋だったのだが寂しさからか布団を野郎部屋に移動させてきて
山小屋気分で全員仲良く一晩を過ごしたのだった_(´ω`」 ∠)_



全員泥のように眠り翌朝を迎える。
御嶽山頂で食べるはずだった山飯が朝食に転身。
バーナーを常備する山屋はいつでも飯には困らないのさ。

すがすがしい朝のコーヒーフィニッシュ。
こんな登山日和に山頂では一夜を越せなかった人々がいると思うとが胸が苦しくなる。
・・・空を見あげろ、前へ進め。
俺たちにできるのは、彼らの分まで生きてこの災害を伝え続けることだ。

というわけで予告通り乗り込んできたNHKスタッフによるインタビューが始まる。
後にこの映像は報道で何度も使われることになる。

自分はというと顔面映るのを拒否した結果、映像導入部分にて
背中で語る男として全国デビューを果たしてしまうのだった←



屋根の上で爽やかに歯磨き。
平和な日常が戻ってきたなぁ・・・(´;ω;`)

で、帰宅はどうするという話なんだが
前日にタカさんとイズが知人に片っ端から連絡を取り車を出せそうな二人を確保。
関東から遠い御嶽の麓まで迎えにきてくれることになったのだ。
動画の件といい二人共いい仕事しすぎだろ( ゚д゚)

宿からも『迎え来るまで何時まで居てもいいからね』
というありがたき計らいを受けありがたくベランダを占領する我々←

迎えを待っている間に近くの流水で全員の靴を洗う。
若干硫黄臭は残るもののこれは俺たちが五体満足で戻ってきた証。
まだまだ世話になるぜ!

宿中を散策していると御嶽の絵を発見。
壁のような幅広い頂、雪を纏った神々しい姿。
やっぱりめちゃくちゃ惹かれる山容だ。
恐ろしさと美しさの共存する火山。
いつか噴火が落ち着いたら、もう一度登りに来ようと強く誓った。



昼過ぎにお迎え到着。
世話になった部屋をキッチリ掃除して退室!

お世話になりまくった滝旅館を後にするm(_ _)m
今度は素泊まりでケチらずフルコースで泊まりに来させていただきます!

13:00頃迎えに来てくれたタカさんのご友人。
ダイナルートバンというトラックをバンに改造したマシンで積載力抜群。
やっぱ持つべきものはトラックを持つ友人だよ・・・( ´Д`)
だが後輪はトラック譲りのハードなリーフサスペンション。
とーっても刺激的な乗り味だったことはここに記しておくw

休憩した道の駅から仙丈ヶ岳を眺める・・・
あんな目にあった直後でも、見上げれば山への想いは尽きない。
また、改めて皆で山を登りに行きたいな。

20:00頃に自宅付近のコンビニに帰還。
最後まで運転してくれた友人知人のお二方にはもう足向けて寝れないな・・・(-人-)
こうして長い一日のようだった激動の二日間を終えたのだった。



残るは田ノ原に放置されている相棒だ。
後日役場から連絡があり、許可された担当者が田ノ原入りして残っている車を
麓まで移動させることになったのでまず鍵を送ってほしいとの依頼が来た。

俺『自分のマニュアルなんですけど運転できる人います?』
役『あ、そういうの好きな職員も居るんで大丈夫ですよw』
俺『なるほど、ではその方にこう伝えてください』
役『?』
俺『8500回転まできっちり回せ‼・・・勝ってこいよ。』
役『・・・サンキュー、親父。』

こうして相棒の鍵は梱包され王滝村へと旅立っていった←

車が回収可能となったのは登山から一週間後の10/5。
その間にSNS経由で長野の新聞社から取材させてほしいとの連絡が。
ちょうど車回収で行く予定だったのでついでに寄りますよと返答。
これをメンバーに話したところ
タカさんが『二人の輸送とインタビューにも答えれる俺が適任じゃん』
というイケメソすぎる名乗りをあげてくれる。
こうして御嶽登山最終章である車回収&インタビューの旅が始まった。

昼頃に王滝村到着。
まずは災害対策本部で鍵を受け取り駐車場へと案内される。
遠くには見慣れた相棒の姿。
(頼む、無事でいてくれ!)恐る恐る近づくと・・・

軽く灰は被ってるけど噴石喰らった様子はなくそのまま!( ゚∀ ゚)
羅臼岳下山後シカに激突して割れたバンパーもそのまま!( ´Д`)←



『会いたかったぞ~( ´Д`)』
無事に帰ってきてくれた相棒に思わず頬ずり。
登山靴の金具でバンパーの傷が増えましたとさ←

イズも相棒に頬ずり(を強要した俺w)
実はこの時お互いのマシンとはもう別れが近かったのだ。
無事下取りに出せる姿で帰ってきて安堵する我々だった。

久しぶりにハンドル握ってエンジン始動!
・・・やっぱ自分の車が最高だわ。
8500まできっちり回してロータリーサウンドを響かせながら
御嶽のワインディングを駆け抜けインタビューへと向かった。

取材は新聞社でなく地元の王滝食堂にて行われた。
入店して挨拶もそこそこに三人別室に隔離され取り調べのような怒涛の取材を受けたw

後日送られてきた記事がこちら。
自分が話した内容は前編で書いた通りだが
頂上山荘に居たイズ、タカさんの壮絶な様子もつづられている。
直接けが人や死者を見てしまうという悲壮感と絶望感は想像に難くない・・・

最後は各自宅から近いメンバーの荷物を預かり全員に配達!
こうして御嶽に囚われ続けた日々から解放され我々は本当の日常を取り戻した。

今回の御嶽山噴火は
土曜日・紅葉シーズン・快晴・昼・警戒レベル1・日帰り可能で全員軽装という
山頂に登山者が集まる状況を狙い撃ちしたかのようなタイミングで噴火。
結果的に死者・行方不明者58名という戦後最大の火山災害となった。

火口に一番近い場所に居たにもかかわらずなぜ我々は生き残れたのだろう。
・出発が1時間遅れたこと。
・神社に祈りをささげたこと。
・バッジ買うのに悩んだこと。
・生きる選択肢を探し続けたこと。
どれも要因のひとつではあるがシンプルに考えると
『噴火時に小屋の前に居た』という強運を手繰り寄せただけなんだよな。

そもそも自然というのは有事の際に人間が抗う術はない。
登山という行為自体常に命がかかっているのだ。
我々ができるのは装備を整えることだけ。
・火山に登るときはヘルメット、マスクを持つ。
・日帰りでも防寒具やツェルトなどを持つ。
・食料、水は下山して余るくらい用意する。
備えあれば憂いなし。これで『命を繋ぐ選択肢』を増やせる。
その選択肢の結果、運は手元に転がり込んでくるのだ。

あれから7年経って記憶も薄れてきて、正直書くのは苦しかったけど
こういう形で残すことができてホッとしている。
この体験記を読んで
何か一つでも心に残って
行動が変わって悲劇を防いで
末永く山を楽しんでもらえたら
筆者冥利に尽きます(-人-)

いつもは最後にルートレビューをする所だけど流石に今回は見送ろうと思う。
山を楽しむどころではなかったしなにより山頂を踏めていないからだ。
タイトルには48座目と書いたがノーカウント。

今回は御嶽のダークサイドを見てしまったので
再び登ることが叶ったときに、御嶽の光明を拝ませてもらうとしよう。
では最後は締めの一言でこの体験談を終わりにしたい。
『みんな、生きてて良かった。』

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